タキイ前あれこれ~2~

きょうはちょっとマイナーなEF61です。
Wikipediaによれば、悲運の急客機だそうです。
たしかに、地味なカマで特に注目されるわけでもなかったカマですね。
でも、なんかこのカマが好きで、EF58よりEF61を歓迎していました(^^ゞ

イベント列車(*)を大阪から引いてきたEF611号機です。
好きなカマのトップナンバーを撮ったぁという満足の一枚(^^)
1004EF61_01

さらに後追いで
1004EF61_02

*このイベント列車、5~7両目に軽量客車らしき車両がつながれているようなので、大阪-京都-丹後方面のイベント列車かと思いましたが、折り返しの写真がネガから見つかっていないので、そうではないらしい。
他に考えられるイベント列車は、名前に自信はありませんが「ぼてじゃこ号」というのが走っていました。この列車は、大阪から琵琶湖に向かって走っていきますので、可能性はありますが、Webにまるで乗っていない(@@)のと、客車編成に疑問があります。

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COMMENT 10

tamura  2011, 10. 04 [Tue] 10:07

一度も出会えませんでした

本物のEF61は18両でしたし、全機広島区だったと思うのですが、関東まで来ていたのかどうか?
おでこの大きな前照灯が前面の風貌を凛々しくしているように見えて好もしいです。
客車群の謎解きは青列車さんの分析を待つとして、当時も結構イベント列車が走っていたんですね。
これも一世を風靡したDISCOVER JAPAN(懐かしい!)がらみだったのかしら、、、

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青列車  2011, 10. 04 [Tue] 12:09

もしかして夜行急行列車?

EF61は私も大好きです(天賞堂の16番モデル持ってます)。登場当時EF58に伍して「あさかぜ」をエスコートしたこともありました。また、渥美清主演の映画『喜劇 急行列車』には後半で一瞬、青塗の急行(「さぬき」?)編成を牽くEF61(但し茶塗り)が出て来ます。
ただ、43-10以降は浜松以西の運用になり貨物列車中心の仕業となってかなりマイナーな印象になったのは否めません(晩年荷37レ重連運転で脚光を浴びましたが…)。

お写真の列車ですがこれは上り列車では?そして朝方に通過したのでは?カマ次位のスハフ42以下座席車4両、その後に続くのはどうやらハネ車(オハネ12・スハネ16等)の様です。

EF61の所定では上り「阿蘇」の広島~名古屋間がありますが阿蘇にしては自由席車が足りません(5・6両あったはず。ただ、冬場暖房の関係で減車した列車もありました)。上り「西海」1号辺りでしょうか(しかし所定ではEF58)?しかしEF58とEF61は特性も近くSG付きも一緒ですから或いは突発的な運用変更かも知れません。あ?呉線経由の広島発大阪/新大阪行きの夜行急行(寝台・座席併結)で電化区間をEF61が担当する列車もありました(列車名不詳・ガキの頃乗った記憶があります)。

それとも影スジを利用した季節列車でしょうか(それも~51号の類ではないもの)?日南・屋久島・雲仙・西海などは設定上3往復位ありましたが閑散期はそのうち1~2往復のみの運転で時刻表には運休中と書かれていました。

或いは大ミハか大ムコで惰眠を貪る夜行急行編成のアルバイト運用でしょうか?
この件では枯れ鉄様やtamura様のご期待に添えそうにありませんm(_ _)m

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佐倉  2011, 10. 04 [Tue] 21:41

EF61

 EF61という罐は残念ながら見たことがありません。
 貴重なお写真を拝見しました。しかも1号機とは。
 後追いの写真が良いですねぇ。

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枯れ鉄  2011, 10. 04 [Tue] 22:58

tamura様

> 本物のEF61は18両でしたし、全機広島区だったと思うのですが、関東まで来ていたのかどうか?
最初宮原で、その後広島に転属しました。この時は広島区時代ですね。
関東まではどうだったのでしょうか。

> おでこの大きな前照灯が前面の風貌を凛々しくしているように見えて好もしいです。
EF60のような顔で、再度のグリルの形状が異なりますが、客車の先頭に立つと、凛々しいですね。

> 客車群の謎解きは青列車さんの分析を待つとして、当時も結構イベント列車が走っていたんですね。
> これも一世を風靡したDISCOVER JAPAN(懐かしい!)がらみだったのかしら、、、
青列車様によると、夜行急行ではないかと。

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枯れ鉄  2011, 10. 04 [Tue] 23:10

青列車様

> EF61は私も大好きです(天賞堂の16番モデル持ってます)。
おお、それは素晴らしい(^^)

>登場当時EF58に伍して「あさかぜ」をエスコートしたこともありました。また、渥美清主演の映画『喜劇 急行列車』には後半で一瞬、青塗の急行(「さぬき」?)編成を牽くEF61(但し茶塗り)が出て来ます。
知られざる栄光の歴史ですね。

> お写真の列車ですがこれは上り列車では?そして朝方に通過したのでは?カマ次位のスハフ42以下座席車4両、その後に続くのはどうやらハネ車(オハネ12・スハネ16等)の様です。
やはり寝台車ですか。となると、イベントの可能性は低いですね。

> EF61の所定では上り「阿蘇」の広島~名古屋間がありますが阿蘇にしては自由席車が足りません(5・6両あったはず。ただ、冬場暖房の関係で減車した列車もありました)。上り「西海」1号辺りでしょうか(しかし所定ではEF58)?しかしEF58とEF61は特性も近くSG付きも一緒ですから或いは突発的な運用変更かも知れません。あ?呉線経由の広島発大阪/新大阪行きの夜行急行(寝台・座席併結)で電化区間をEF61が担当する列車もありました(列車名不詳・ガキの頃乗った記憶があります)。
ご指摘のように、「阿蘇」の自由席は6両。「西海」と「雲仙」が1969年では5両と近い。

>
> それとも影スジを利用した季節列車でしょうか(それも~51号の類ではないもの)?日南・屋久島・雲仙・西海などは設定上3往復位ありましたが閑散期はそのうち1~2往復のみの運転で時刻表には運休中と書かれていました。
6000番台の列車ですね。その可能性がありますね。

> 或いは大ミハか大ムコで惰眠を貪る夜行急行編成のアルバイト運用でしょうか?
> この件では枯れ鉄様やtamura様のご期待に添えそうにありませんm(_ _)m
いえいえ、ハネ車と断言していただいただけで、十分です(^^)

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枯れ鉄  2011, 10. 04 [Tue] 23:11

佐倉様

>  EF61という罐は残念ながら見たことがありません。
>  貴重なお写真を拝見しました。しかも1号機とは。
>  後追いの写真が良いですねぇ。

東の方では、馴染の無いカマなんですね。
もっとも、京都でもそれほど見た記憶はありませんが。

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吾郎  2011, 10. 05 [Wed] 20:34

ロクイチ

こんばんは。

「ロクイチ」と聞くと東日本では「EF5861」ですが、西日本ですと「EF61」なんですよね。
やはりご当地によって親しみが違うものですね。
SG吹かして急行荷物列車の先頭に立つ姿はやがてゴハチを追い出してその地位に
君臨するのだとばかり思っていましたが意外にもゴハチより先に消えてしまいましたね。
不遇な機関車のように思えます。

ポチ☆

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枯れ鉄  2011, 10. 05 [Wed] 23:02

吾郎様

> こんばんは。
おばんです。

> 「ロクイチ」と聞くと東日本では「EF5861」ですが、西日本ですと「EF61」なんですよね。
> やはりご当地によって親しみが違うものですね。
かもしれませんね。それに、西日本でお召し機は宮原のEF5860かも。

> SG吹かして急行荷物列車の先頭に立つ姿はやがてゴハチを追い出してその地位に
> 君臨するのだとばかり思っていましたが意外にもゴハチより先に消えてしまいましたね。
> 不遇な機関車のように思えます。
桧舞台に立つことなく消えていった不遇のカマですね。
>
> ポチ☆

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青列車  2011, 10. 06 [Thu] 07:00

中継ぎショートリリーフ

再度お邪魔します。EF61は西進する山陽電化に伴う電気車不足解消のため投入されました。
昭和30年代山陽本線の電化は進みますが肝心の電気車が足りません。折角電化したのにSLでは乗客は納得しませんがかと言って目前に迫った東海道新幹線開業で電気車が捻出出来るのにここで増備するのも得策ではありません。
そこで、せめて急行旅客列車だけでも電気運転するべく旅客用として増備されたものがEF61でした(何せ当時は冷房は一握りの特急用位なもの。夏場の蒸機牽引は難行苦行でした)。
いずれ東海道新幹線開業後は東海道区間で浮いた車輛が回ってくる上客レも電車化が進み旅客用電機の必要量が減ればやはり当時逼迫していた貨物用に改造(SG降ろしてバーニヤ制御搭載)する予定でしたが、結局それは実行されなかったのはご承知のとおりです。

登場当時は特急・急行列車をエスコートして東京駅に発着もしていたもののおそらく43-10頃から浜松以西には顔を出さなくなり首都圏では知られざるカマになりました(諸族が宮原から広島に変わったのもこのころでしょうか?)。

EF601次形(1~14)と共にセノハチの補機にする計画が持ち上がりEF60がEF61200番台に改造されましたが単機なら良いものの重連での補機運用に支障が出て計画は中止され、EF61は改造されませんでした。

SGを持つがゆえに車体の傷みも激しくこれも短命化に拍車をかけてしまいました。
不遇な晩年でしたがそれでも回送絡みとはいえ定期重連仕業や臨客とはいえ14系座席車12連をエスコートするなど華もありました。

JR貨物広島車両所に4号機の「首」だけが教材として保存されているのが唯一この薄幸の一族の生きた証です。
(追記 EF5860って終生浜松区在籍ではありませんでしたか?)

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枯れ鉄  2011, 10. 06 [Thu] 08:33

青列車様

> 再度お邪魔します。EF61は西進する山陽電化に伴う電気車不足解消のため投入されました。
> 昭和30年代山陽本線の電化は進みますが肝心の電気車が足りません。折角電化したのにSLでは乗客は納得しませんがかと言って目前に迫った東海道新幹線開業で電気車が捻出出来るのにここで増備するのも得策ではありません。
> そこで、せめて急行旅客列車だけでも電気運転するべく旅客用として増備されたものがEF61でした(何せ当時は冷房は一握りの特急用位なもの。夏場の蒸機牽引は難行苦行でした)。
> いずれ東海道新幹線開業後は東海道区間で浮いた車輛が回ってくる上客レも電車化が進み旅客用電機の必要量が減ればやはり当時逼迫していた貨物用に改造(SG降ろしてバーニヤ制御搭載)する予定でしたが、結局それは実行されなかったのはご承知のとおりです。
> 登場当時は特急・急行列車をエスコートして東京駅に発着もしていたもののおそらく43-10頃から浜松以西には顔を出さなくなり首都圏では知られざるカマになりました(諸族が宮原から広島に変わったのもこのころでしょうか?)。
>
> EF601次形(1~14)と共にセノハチの補機にする計画が持ち上がりEF60がEF61200番台に改造されましたが単機なら良いものの重連での補機運用に支障が出て計画は中止され、EF61は改造されませんでした。
>
> SGを持つがゆえに車体の傷みも激しくこれも短命化に拍車をかけてしまいました。
> 不遇な晩年でしたがそれでも回送絡みとはいえ定期重連仕業や臨客とはいえ14系座席車12連をエスコートするなど華もありました。
>
> JR貨物広島車両所に4号機の「首」だけが教材として保存されているのが唯一この薄幸の一族の生きた証です。

ありがとうございます。EF61出生からの経緯はそうだったのですか。国鉄もまるっきりのバカではなく、むやみにカマを造らなかったのですね(笑)


> (追記 EF5860って終生浜松区在籍ではありませんでしたか?)
そうみたいですね。「宮」は勘違いみたいです(^^;

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