C57@保津峡(3)

場所は異なりますが、保津峡も陽がさせば、こんな感じになります。
ただ恥しながら、場所の特定に悩んでいます。
下の写真に写っている信号機が保津峡駅の場外信号のようなので、馬堀側の進入でしょう。
佐倉様のご指摘により再度考証しましたところ、馬堀側の進入ではないようなので、削除いたします。
経緯、内容は枯れ鉄が佐倉様に返したコメントをご覧ください。

カマは写真を拡大してみると、三桁なのでC575号機です。
801C57_01

後追いで
801C57_02

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COMMENT 7

郷愁紀行  2011, 08. 01 [Mon] 13:31

戦前の客車?

二両目の客車がやけに窓が多いですね、戦時系?それともベンチシート?
これは専門の方にお聞きしないとね(^^
なんか昭和の映画を見ているようで懐かしいというか、やけにノスタルジーを感じます。
窓から八尾の朝吉っあんが顔を出してきそうで(笑)
戦中この先の福知山には陸軍の連隊がありましたから。親父が招集されて行きました。

それよりも山陰本線は電気信号だったのですね、同じ渓谷でも、同じ大鉄管内でも
川西池田から奥は腕木信号でした。
さすが都の隣は違います(笑)


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佐倉  2011, 08. 01 [Mon] 18:26

ちょっと疑問が...

 保津峡も綺麗に日が当たるんですねぇ...と写真をつらつら拝見していて、ちょっと疑問が...
 
 電柱の影の様子から太陽は未だ高い位置にありそうですね。(仰角45度程度?)
 そして、太陽の方向はほぼ列車の真横か少し後方の様です。
 保津峡付近の地図と見比べて、この方向から日が射すのは、上り列車では無いような気がするのですが?
 獣道からの俯瞰の近辺とか、保津峡の嵯峨よりから撮影された下り列車ということは無いでしょうか?
 お昼頃のダイヤが分かりませんが、下り列車はありませんでしたか?
 
 佐倉の撮影した写真では、馬掘側の信号は、ちょっと先のトンネルの出口(馬掘から見て入口)に立っています。
 また、線路のある棚の法面はコンクリートで補強されていました。

 またつまらない推理で申し訳ありません。m(_ _;m)

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青列車  2011, 08. 01 [Mon] 20:32

山陰本線にスハ33?

一瞬多客期臨客レかと(^^);カマ次位と3両目が青塗車ですから…
(アルミサッシで若干明るめな塗装から青塗と推測しました)。
それにしても見事にTR-47台車で揃いましたね。スハフ42+スハ33+オハ46原型車…

以下郷愁紀行さんのためにも余計なお節介など…

2両目のスハ33、元はスハ32(旧称号ではスハ32800)で昭和一桁生まれです。それが戦後生まれのスハ43系が履いていたTR-47台車のお下がりを貰って生まれたものです。何故そうなったのか?ですが、TR-47台車を履いたスロ54やオハネ17の冷房化、電気暖房化の際重量増加を避けるためTR-23台車(と言ってもコロ軸受改造されたTR-23D等、旧並ロ車のもの)をそちらに供出し代わりにTR-47台車を貰ったモノです。まず並ロのTR-23Dをスロ54やオハネ17に供出、浮いたTR-47をスハ32に、スハ32のTR-23を並ロに回し並ロはハザ格下げ(多くは通勤用ロングシート化)改造されました。因みにTR-23Dをもらったオハネ17はその後スハネ16化(冷房化改造)の際TR-47に戻されました。これは冷房化改造に伴いオ級からス級にアップ、台車を重いTR-47に戻してもス級にとどまるので乗り心地改善で行われました。

と、在来一般型客車萌え萌え~なおっさんの長話でしたm(_ _)m

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枯れ鉄  2011, 08. 01 [Mon] 20:53

郷愁紀行様

> 二両目の客車がやけに窓が多いですね、戦時系?それともベンチシート?
> これは専門の方にお聞きしないとね(^^
この件に関しましては、弊ブログの客車参謀 青列車様が詳細にお応えくださいました(^^)

> それよりも山陰本線は電気信号だったのですね、同じ渓谷でも、同じ大鉄管内でも
> 川西池田から奥は腕木信号でした。
> さすが都の隣は違います(笑)
福知山線は腕木信号でありながらタブレット交換しない、連鎖閉塞という方式でしたね。

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枯れ鉄  2011, 08. 01 [Mon] 21:13

佐倉様

>  保津峡も綺麗に日が当たるんですねぇ...と写真をつらつら拝見していて、ちょっと疑問が...
その疑問、鋭すぎます。

>  電柱の影の様子から太陽は未だ高い位置にありそうですね。(仰角45度程度?)
>  そして、太陽の方向はほぼ列車の真横か少し後方の様です。
>  保津峡付近の地図と見比べて、この方向から日が射すのは、上り列車では無いような気がするのですが?
>  獣道からの俯瞰の近辺とか、保津峡の嵯峨よりから撮影された下り列車ということは無いでしょうか?
>  お昼頃のダイヤが分かりませんが、下り列車はありませんでしたか?
保津峡の地図を見て考えますと、
1.佐倉様ご指摘の通り、お昼ごろの下り列車を渡月橋から獣道を進んで撮った。
2.もっと馬堀寄り(現山陰本線と旧山陰本線がクロスする辺り)で、一旦南北に走る区間

1.に該当する列車が、行楽シーズンに園部まで運行されていた臨客か923レ
923レはこの辺りの通過13:00頃なので遅すぎるのと、この客車編成は大ムコなので923レはまず違う。
かと言って臨客は京都駅を9時台に発車するので、やや早すぎる感はあるものの、客車は大ムコなので可能性大。
2.の場所へは地図を見る限り道がない。川沿いを歩くことは可能だったかもしれないが、それほど長く川沿いを歩いた記憶はない。一度、馬堀方向へ道路を歩いたことはあるが、そこまで歩いたのかという疑問と、朝の上りにしては、佐倉様ご指摘のように、太陽が高いような気がする。
どちらも、100%の決定力に欠ける。

>  佐倉の撮影した写真では、馬掘側の信号は、ちょっと先のトンネルの出口(馬掘から見て入口)に立っています。
>  また、線路のある棚の法面はコンクリートで補強されていました。
>
>  またつまらない推理で申し訳ありません。m(_ _;m)
いえいえ、枯れ鉄のええ加減さを暴露してしまいましたm(_ _)m
実際、分かりません。

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枯れ鉄  2011, 08. 01 [Mon] 21:24

青列車様

> 一瞬多客期臨客レかと(^^);カマ次位と3両目が青塗車ですから…
その可能性もあります。この編成は、大ムコの所属で、通勤列車用にC57が向日町まで取りに行って、園部まで走っていました。

> (アルミサッシで若干明るめな塗装から青塗と推測しました)。
> それにしても見事にTR-47台車で揃いましたね。スハフ42+スハ33+オハ46原型車…
>
> 以下郷愁紀行さんのためにも余計なお節介など…
いえいえ、ありがとうございます。郷愁紀行さんも喜ばれていると思います。

>
> と、在来一般型客車萌え萌え~なおっさんの長話でしたm(_ _)m
客車が写っている時は、青列車さんのコメントを心待ちにしています。

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郷愁紀行  2011, 08. 01 [Mon] 22:37

青列車様

解説ありがとうございました。
ただ昔から記号と数字に弱いもので読み返して納得しましたが
ただ記号の元が分からないもので、それが頭に思い浮かばず
頭がモヤモヤとしてます(笑)

これが分かってると組み合わせとかで更に興味倍増して楽しそうですね。
拙ブログにもお越しを、今は少ないですが古い客車も写ってますので。。。
新しい興味を植え付けてください(^^)


枯れ鉄様 
私信にて場所お借りしました(^^


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